自由党

東京都第十九区総支部長 渡なべ浩一郎 OFFICIAL WEBSITE

ESSAY

政治情勢や社会状況を鑑みて、渡なべ浩一郎の想いを書き連ねております。


Vol.234 「市民と野党の本気の共闘」が一番大切

久方ぶりに筆を取ります。

私自身、今までと同様、衆議院小選挙区の東京第19区という地元で活動させていただくと同時に、自由党都連の責任者、会長という立場で東京都全体でも活動させていただいております。

そうしたなかで私は、今の政治には「市民と野党の本気の共闘」が一番大切だと思っている一人です。

ただ、皆様「市民と野党の本気の共闘」とおっしゃっておられますが、実際には私の選挙区でも、東京都全体でも、いや日本全体でも、なかなか難しい状況です。例えば、野党4党のなかで「統一候補」を一人に絞ることが進んでいませんし、そもそもその野党の統一候補を誰が決めるのかも決まっていません。地元市民が決めるのか、国レベルでの野党4党が話し合いで決めるのかなど、まだまだこれからです。

さらに小池都知事の「都民ファースト」が、都議選、およびその後の国政選挙で、この「市民と野党の本気の共闘」とどう関わるのか、わからない状態となっています。

こういった状況ですが、本来「市民と野党の本気の共闘」が目指す政治を国民の手に取り戻す活動は何としてでも続けていかなければなりません。私自身は変わらず安倍内閣の退陣、政権交代をめざし、そのなかで「個人の尊厳」「人権」などの言い方はいろいろですが、私なりの言い方でいえば、「人を守る」ことを政治理念としてかかげ、活動していく決意でおります。引き続きご理解、ご支援をお願いいたします。


Vol.233 本当にこれでいいのか、今の日本!-No.2
―自由党は本物の理解者を探しています。―

今の日本、本当にこれでいいのだろうか?

集団的自衛権。今までの政府は、わが国では憲法上、集団的自衛権は行使できないとしていて、国民も納得していた。それにもかかわらず、安倍内閣という一内閣で憲法の解釈を変えてこれを行使しようとしている。しかも国民の理解や了解を経ずにである。憲法とその国民合意をないがしろにしているようでは、「法の支配」という言葉も説得力を得ず、逆に日本のリスクを高めているだけではないのか。国民を置き去りに進む姿は、先の戦争を思い起こさずにはいられない。
一方、日本国として、周辺事態の脅威に対して準備するのは当然のことである。しかし、集団的自衛権は憲法にも抵触する内容である。まずは安保法制など準備やその対応の結果などによるリスクを国民にきちんと説明した後、国民の間でも熟議を重ねていただき、納得や了解が得られてから対応を検討すべきだったのではないか。近年、日本の周辺状況が目まぐるしく変わっていることは確かだが、その議論をする時間がないほどの緊張の高まりはまだ無いように思える。
「脅威があるから対応します」というような説明以降、説明らしい説明もなく争点からも外した選挙を経たことで、なんとなく国民から許容されたように見せかけてはいるが、私どもも安保法制=戦争法として憂いて一緒に活動していただいている多くの皆様も、決して忘れることなく廃止に向けた動きを続けていく覚悟が必要である。

原発。東日本大震災により引き起こされた事故から、人々の生命や生活、財産への広範な影響を目の当たりにし、多くの国民は原発に頼らない生き方を選択しようとしているのは間違いない。しかし、経済を口実にこれを維持し、さらに海外輸出を企てる安倍首相。人より金の方がそれほど大事なのだろうか。

アベノミクス。これはいったい何のための経済対策だったのだろうか。この間の3年半、景気は上向くどころか少しも良くならず、ましてや一般の人々の雇用や賃金もほとんど変化がない。市場のお金を増やしただけで肝心の第3の矢は飛ばず、富裕層や大企業が潤ったことにより平均を少し押し上げたかもしれないが、「誇大広告」と言われても仕方がない。また、今までの政策が地方や中小企業に恩恵が少ないことを、分かっていながら選挙などで言わなかったとすれば「ウソつき内閣」であり、妄想であって結果としてあまねく経済を豊かにできなかったのであれば「妄言政治」のそしりを免れ得ない。しかも日銀総裁も安倍首相も他人事のように責任を感じていないようだ。

国民と国家。今の政治は「国家あっての国民」のようだ。本当かといいたくなる。
もちろん国家も国民も両方大事である。しかし「国民あっての国家」というあたり前のことが、この政府はどうしてわからないのだろうか。

今の日本、本当にどうかしている!

自由党は、いままでの生活の党と山本太郎となかまたちと同じく、「国民の生活が第一」「生活は政治である。」などを基本理念にし、本物の政治を行っていきたいと思っています。そして上述のことや自由党の主張している他の政策に少しでも賛同していただける皆様と一緒なら、今の状況を打破できると考えています。どこまで出来るかわからぬが、少なくとも今以上の日本、活気ある日本、将来が見える日本にして行こうではありませんか。

そのためには自由党に対する理解者、支援者と一緒に行動できる体制を整えていきたいのです。小沢一郎共同代表は長きに渡る政治活動のなかで、将来の国連中心主義を唱えるなど、政治の本質をきちんと語れる数少ない政治家の一人だと私は思っています。山本共同代表も少し行き過ぎた行動もありますが、抜群の行動力と、今ある政治課題を数多く勉強しており、将来が楽しみな人物の一人でもあります。つまり、二人は今の状況を打ち破る知恵とパワーを持っていると私は思っています。

繰り返し申し上げますが、私たちは自由党に対する本物の理解者、支援者を探しています。どうか志のある方、特に西東京市、小平市、国分寺市、国立市の方々は私どもにご連絡くださいませ。お待ちしております。


Vol.232 「大義」により、良い「社会」を目指す

どうも昨今の政治状況を見ると、今年の7月には衆参同日選挙がありそうである。同日選挙になった場合でも、私自身も、政策など自分の政治に対する考え方をきちんと主張、活動していかなければならない。

なぜ主張・活動していくかというと、安保法制の廃止運動にたずさわっていて感ずるところでもあるが、今の日本には現状を容認する「しょうがない」の意識が変わらず強い。もっといえば「自分だけ」「金だけ」「今だけ」の意識がものすごく強いように感ずるのである。これでは日本の政治は決して良くならない。

そうではない。政治家も有権者もお互いに、きちんとした理念、もっといえば政策のバックにある「大義」を意識して「政治」に向き合えば、「政治」をそして「社会」を変えていくことができるのである。

その「大義」とは何か。言葉の定義では、「人の行うべき重大な道義。特に国に対して人々が為すべき道」とある。といっても難しいことではなく、個人の尊厳を大事にできる「社会」を守るために、人が人としてどう生きるのか、なんなために生きるのか、どのように生きるか、ということを真剣に考え、発言や行動をしていくことである。つまり、「社会」に対して責任を持つということである。

私にとっての「大義」は、個々、一人一人の尊厳を大事にし、守っていくことに尽きると考えている。これは、「人」が「人」を支配するのではなく、「法」が「人」を支配する立憲主義の根拠である「人を守る」にもつながり、以前から主張している「人を守る」ことになる。一人の国民である私としては、先頭に立って社会に対する責任を果たすべく活動していかなければならないと、改めて強く想う昨今である。


Vol.231 これでは我が国の徴兵制が許されてしまう!

集団的自衛権を認める安全保障関連法案が去る9月19日未明に参議院本会議でも可決、成立した。

このことは、私達国民にとってとんでないことをしてしまったと思って良い。なぜなら、安倍首相は今まで否定していた集団的自衛権を、我が国を取り巻く環境が大きく変化したので、これに対応するために憲法の解釈を変えて行使できるようにしたからである。 もしもこれを本気で国民が許すなら、安倍首相が今国会で否定していた徴兵制は、将来許されることになってしまう。

憲法18条の「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服されてはならない」によって、今日我が国では徴兵制は実施されていない。

しかし、今まで否定していた徴兵制と我が国を取り巻く環境が大きく変化したので、これを対応するために憲法の解釈を変えて行使するとしたらどうだろうか。今回同様、徴兵制が可能となってしまうのである。

つまり憲法の解釈を、時の政府に委ねていたら、常にこういう大事な問題が国民の意志に関係なく、無視されて行使されてしまうのである。これは本当に恐ろしいことだと私は言っているのである。こと憲法の解釈や改正は、国民から選ばれた国会議員が決めることではなく、国民そのものが決めるべきである。

昨今、ギリシャで財政危機が取り沙汰されている。ギリシャのチプラス首相は2度の総選挙で国民に訴え、この危機を乗り越えようとしている。さすがに民主主義の発祥の地である。何か大きな問題があれば、総選挙で国民に問うのが当たり前になっているようである。一方、我が国は国民性だろうか、国民は国の大事な問題を総選挙で問われている意識をあまり持っていないようである。

繰り返し申し上げるが、こと憲法の解釈や改正は、国民から選ばれた国会議員が決めることではなく、国民そのものが決めるべきである。残念ながら、この手続きのことを国民はあまり理解していない。だとしたら私は今後、この憲法の解釈とその手続きの重要性を機会あるごとに訴えていこうと思っている。


Vol.230 こと「憲法」の解釈や改正は、国民から選ばれた国会議員が決めることではなく、国民そのものが決めることである

集団的自衛権を認める安全保障関連法案が、今国会で決まってしまった。今まで、戦後長きに渡って国民も政府も集団的自衛権は憲法上許されない、使えないという規範にしていたにもかかわらず、である。もう我が国には憲法は存在しないのであろうか。

「法律」は国民から選ばれた国会議員によって国権の最高機関である国会で決めるが(憲法41条)、その「法律」の上位にある「憲法」は国民が決めるものである。すなわち、憲法の解釈を変えるのであればその是非を「総選挙」で国民に問うべきであり、憲法を改正したいのであれば憲法96条で定められた「国民投票」で国民に問うことになっているのである。

にもかかわらず、今回は安全保障関連法案と憲法との手続き上の関係をきちんと詰めないで成立させてしまった。これでは憲法は要らないし、「何でもあり」がまかり通ってしまう。従って、私どもはこれは絶対許さないし、これからもこのことを政治の最重要事項として、最後まで追求していく決意である。

しかし、なぜこうなってしまったのであろうか。それは国民が先の総選挙で、与党に多数の議席を与えてしまったからである。これではいくら野党が結束して反対し、また、多くの国民が反対して国会を取り囲んでも、かなうわけがない。このことを、この法案に賛成であれ反対であれ、国民は自覚すべきであろう。民主国家においては国民の意志をきちんと示すのは「選挙」しかないのである。

にもかかわらず、我が国の選挙の投票率はあまりにも低い。半分近くが選挙に行かないのが現実である。これでは国民の意志をきちんと政治に反映することができない。

従って今後、来たるべき来年の参議院選挙でも、憲法を含めた国の在り方を真剣に考え、その結果を踏まえて、選挙に行こうではありませんか。投票率100%とは言いませんが…

。 そして私自身も、これからも憲法と選挙の重要性を皆様に強く訴えていくつもりでおります。


Vol.229 本当にこれでいいのか、今の日本!

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

上の文章はご存じの通り、わが国の憲法9条の全文である。わが国は戦後から今日までの70年間、この憲法9条により集団的自衛権が使えないとしたのである。

にもかかわらず、今回の安倍内閣は昨年の7月に、この憲法9条を改正してではなく、憲法の解釈を変えて、今の憲法9条の下でも集団的自衛権を使えるよう閣議決定し、今の参議院で最後の安全保障関連法案を審議しているのである。

皆さん!これを許しますか?今まで長きに渡って国民も政府も集団的自衛権は使えないといっていたのにもかかわらず、安倍内閣という一内閣で憲法の解釈で使えるようにしているのです。もうむちゃくちゃですよ。集団的自衛権が使えるよう憲法の改正を国会が発議し、国民に提案するわけでもなく、です。もしこれを許したら、国民の権利を守り権力者をしばる意味でもある立憲主義が成りたたなくなり、日本には憲法が必要としなくなってしまうのです。

確かに北朝鮮の核開発、中国の海洋進出など、日本を取り巻く環境には厳しいものがあります。しかし、そうした周辺環境の現実が厳しければ厳しいほど、これを解決するために、更に高い理想をもって対応していくのが、本当の政治だと私は思っています。例えば、憲法9条の下での日本国憲法、日米安保、国連とが一体となったわが国の安全保障を模索し、構築していくべきでありましょう。

従って、今回は、この安倍内閣の安全保障関連法案は廃案し、本当に集団的自衛権を使えるようにするなら、時の内閣が憲法の改正を発議し、更に国民に信を問うべきであります。政治の最終決定者は、主権在民ですから「国民」にあるからです。

私はこうした考えの下、今回のわが国の安全保障のあり方、憲法との関係などを、皆様方と真剣に考え行動すべきと考え、私なりの政治活動を継続していく決意をいたしました。こうした私の考えに対して、皆様方の直接のご意見をいただければと思っており、ご意見いただければ幸いです。国民一人一人が「今だけ」「金だけ」「自分だけ」しか考えないならば日本の将来はありません!これで本当にいいのか、今の日本!との思いです。


Vol.228 久方ぶりの「浩一郎のひとり言」

前回のVol.227「集団的自衛権の閣議決定について」(2014.7.31)から1年ぶりの「浩一郎のひとり言」になります。1年たったこの文章を私なりに読み直してみましたが、今の私の考え、気持と全く変わっていないのに複雑な思いがしています。

ちなみに、皆さんには次の文章を読んで頂きたい。

「浩一郎のひとり言」を今日から始めることとした。今、日本での政治的な課題は何かとか、永田町での動きに対する私の考えを、その時々思いつくままに述べていこうと思う。どうかよろしくお願いします。
さて、私自身は秘書時代からも計算すると、政治の分野の身をおいて早や15年過ぎた。私の努力不足で、今私は浪人のみであるが、この15年間の経験のなかで有権者も結構変わり身が早く、いいかげんなとこがあるなと時々思う。
中国の周恩来や米国のキッシンジャーも指摘しているように、日本人の変わり身の早さは、国際的にも定評がある。江戸幕府から明治時代に移ったとき、つまり封建制から天皇制にはたった3年でやってしまうし、太平洋戦争後は、天皇制から民主制にはわずか3ヶ月でやりとげる。この変わり身のはやさは、日本人の国民性なんだろうね。常に建前と本音のダブルスタンダードをもっているからこの変わり身のはやさができるのだろう。
この国民性のなかで日本の政治の舵取りをしていかねばならぬ難しさがある。いいかげんな政治屋なら別だけど、国の方向をまじめに考えようとする政治屋にはしんどいネ。
また、男は利権を求めて、女は人気を求めて政治を見つめている。誰ひとり政策を見つめていない。このいいかげんさ、いつまでたっても日本の政治がよくならない原因がここにもある。
やはり日本人の国民性なんだろうね。この変わり身のはやさ、いいかげんさはなおらんだろうね。
昨日の暑さで、私の頭も多少カーとなっている。

これは、私の「浩一郎のひとり言」の第1回目 Vol.1の文章です。2002年(平成13年)7月21日のことです。

これも今の私の考えと気持と全く変わりはありません。

ということは人間は、いや、私はあまり進歩しないのか、それとも物事の本質をいつも見ていけばそんなに大きな変化はありえないのか、よく分かりません。また気持ちを整えて時々、この「浩一郎のひとり言」を更新していきたいと考えております。どうか宜しくお願い致します。


Vol.227 集団的自衛権の閣議決定について

安倍首相は、去る7月1日、わが国の周辺諸国の動きに対する安全保障を確固たるものにするためなのか、今までの憲法9条の解釈を変えて、わが国にも集団的自衛権が行使できるよう閣議決定を行いました。

私は、この解釈改憲の閣議決定に反対です。つい先ほどまでの集団的自衛権に関する政府見解は、「わが国も本来集団的自衛権はもっているが、憲法9条によって、これを行使することはできない」といっていたではありませんか。それを今回安倍内閣は、国民の判断を問わずに解釈改憲を行ったのです。

そもそも行政府である内閣が憲法解釈を変えられるのでしょうか。確かに憲法は、衆・参両議員の2/3の賛成を得た後、国民投票で過半数の賛成が得られれば変えられることからも分かるように、憲法改正はハードルが高いです。。私は法学者ではありませんが、法律の上に憲法が位置していることぐらいは分かっております。大事なことは、この精神や理念は憲法の解釈の変更の時にも当然継承されるべきである、と私は思っております。すなわち、憲法に関しては、改憲であろうが解釈改憲であろうが、それは国の主人公である国民が真剣に決めることなのです。なぜなら「主権在民」「立憲主義」をうたっている日本だからです。それを無視して、一つの内閣が国民に信を問わず憲法に触れることは、絶対に許されることではありません。

安倍内閣は、この秋の臨時国会以降、この閣議決定に基づいて集団的自衛権の行使ができるよう、個々の法律を具体的に変えていくことになるでしょう。従って、秋の臨時国会では解釈改憲に反対する野党は、たとえ過半数に達せずといえども、体をはってこれを阻止しなければならなりません。もし国会でこれを許したならば、その時々の内閣の一存で国の根本が、しかも短期間で変えられてしまうことになり、社会の混乱は目に見えています。

しかし、これほど大事な出来事に対して、国民は案外静かです。もちろん、首相官邸での解釈改憲絶対反対の市民運動はありましたが、それが大きなうねりになることはありませんでした。特に閣議決定以降、これらの市民運動はすっかり沈静化してしまいました。景気や雇用といった「経済」が大変重要であることは良く分かりますが、集団的自衛権という「人の命」に関する事柄にも「決まったことだから」とか「お上には逆らえない」という戦前の大政翼賛会的な考えや風潮では日本に未来はありません。

私はこうした今の日本の風潮にものすごく危機感を持っています。「憲法」という国民の生活のなかで最も大事なことに関して、国民がこれに無関心だとすれば、私はこれは絶対まずいということを強く国民に訴えていこうと思っています。それは私の政治活動の今の原点となりつつあります。人は「水」なしでは生きていけないと同様に、「憲法」なしでは生きていくことは困難だからです。


Vol.226 中国について(その2)

前回、私は今の中国の海洋進出に対して、今後日本はどういうスタンスでいるべきかについて、私なりの考えを述べてみようと書きました。
その前に、こうした問題を人類の歴史的な観点から、少し述べてみたいと思います。

人類の歴史の中で超大国としてかつての「ローマ帝国」「オスマントルコ帝国」「モンゴル帝国」などが有名です。近代になってからは「大英帝国」、そして最近では「ソ連」と「米国」との世界を二分する冷戦構造があったことは記憶に新しいでしょう。

いずれもこれらの国々は、初めは普通の国でしたが、それが急速に発展し、最盛期を迎え、やがて自壊して普通の国になっていったというのが、歴史の中で証明されています。従って、現在の中国の発展が今どこに位置しているのか、冷静に見極めておかねばならないというのが私の考えです。

しかしともあれ、今の中国の経済力や軍事力のなかでの海洋進出に対して日本はどう対応すべきか、早急に態度を決めておかなければなりません。

中国は排他的経済水域(EEZ)を「海洋国土」「国家管轄海域」などと勝手に呼び、「領海」とほぼ同一視しています。本来EEZのなかでは沿岸国の主権は及びますが、「領海」とは異なり、いかなる国も航行、上空飛行などの自由を持ち、軍艦による軍事行動も制約を受けないことになっています。にもかかわらずEEZの扱いを拡大解釈しているのが今の中国です。

従って、今のベトナム、あるいは潜水艦も戦闘機も保有していないフィリピンに対する中国の主張を踏まえますと、日本はどんなことがあっても中国の日本への領海、領土への進出を許さないという毅然とした態度と、そのための抑止力をきちんと作っておくことが必要だと私は考えております。尖閣諸島など現状の国土をしっかり堅持する態度と実力を持ち続けること、今の日本はこのことに尽きるのです。

そして、こうした態度の前提にして、もう一つ、もっと大切な次のステップがあると私は見ています。

それは「平和への追求」です。それぞれの国々が軍事力で向かい合っていては、どこかで不測の事態に発展するかも知れません。その不測の事態を避けるためにも、日本が抑止力を持つだけではなく、また持っていれば良いというものではありません。私はもっと高い視点、つまり抑止力を超えた高い理想の視点での「平和への追求」の意識を、今生きる政治家の一人としての私自身も持つ必要があると思っています。

そのためには、二国間、周辺諸国あるいはG7、国連などの国際機関でもよい、さまざまな「平和への追求」ができる組織、機関を利用し、作っていくことです。そしてそこで当事者間の相違点ではなく、共通の利害から出発し、それを調整することで協調し合う、話し合う体制を少しずつ築いていけばいいと思っています。日本も、世界に向かって率先して「平和への追求」を発信していくべきです。


Vol.225 中国について

中国が確実に経済力と軍事力をつけつつあります。中国の東アジアや東南アジアへの海洋進出の動きの早さと力強さは、日本や中国の周辺国にとっては大きな脅威となっています。

なぜ、中国はこうした動きをするのでしょうか。もちろん中国は、その経済力と軍事力を背景に中国の権益の確保を拡大したい、というのが最大の理由かもしれませんが、どうもそれだけではなさそうです。

中国にしてみれば、民主主義、法の支配などの今の価値観は、欧米を中心とした価値観としかみていないようです。それは唯一絶対、永遠に続く価値観ではないはずで、だとしたら別の価値観、つまり中国が考える価値観の世界があってもよいのではないか、と思っているのではないでしょうか。

昔、冗談話として、太平洋のハワイ島の東側は欧米圏で、西側は中国圏にしようという話が、中国側から出されたと記憶しています。少々乱暴な行動と映るかもしれませんが、世界を米国と中国の二つに分けてもおかしくない、と思い、確実にその方向で中国は動いているようにみえます。

では、この場合、日本はどういうスタンスでいるべきなのでしょうか。次回の「浩一郎のひとり言」で私見を述べてみたいと思います。


Vol.224 地方分権について

地方分権の必要性が叫ばれてから久しく時がたちました。国の財源の徴収権と配分権を地方に移そうという政策です。しかし、いつまでたってもその必要性は叫ばれても実現されてはおりません。

なぜでしょうか。私の国会議員としての経験だけで申しますと、国の徴収権と配分権という網は大きくて固くて複雑にからみあってかぶさっております。これを一人の国会議員がこの中央集権制なるものを壊して、新たな地方分形制に作り直すのは至難の業なのです。政権を担った政党が本気で本腰を入れて取り組まない限り、明治以来の中央集権制、官僚支配を打破はできません。そのためには、何といっても主権在民たる国民の理解や、国民のこれに対する意識の改革がなければなし遂げられるものではないと、私は思っています。

そこで、なぜ地方分権は必要なのでしょうか。多くの国民にとっては、まず政治の役割は、収入や雇用、福祉などの身近な課題を解決する事が大切であり、中央集権、地方分権はどちらであっても構わないと思われているのかもしれません。

しかし日本の経済が、これから右肩上がりを望めないなか、安倍内閣の経済政策、つまり競争力のある特定の企業が豊かになれば、その利益はいずれ国民にも配分され、国民全体は豊かになるという経済政策は、いずれ貧富の差をつくるだけで決して軌道に乗るはずがありません。まして、来月の4月から消費税が5%から8%に、来年の10月にはその8%が10%に上がるとなると、経済の失速するのは目に見えています。本気で新たな経済政策を今から手を打っておかなければならないと、私は思っています。

私や私どもの政党としては、これからの時代、この新たな経済政策の手として、内需を中心とした、低成長でも安定した経済政策に舵を切っていくべきと考えています。そのためにも、つまりこの内需拡大のためには、どうしても地方分権を強く推し進めていく必要があります。地方分権によって、地方に与えられた自主財源を独自にその地方に特徴ある産業を育成し、豊かにさせていくことができるからです。

そして、地方が豊かになることは、結果的に日本全体も豊かになることになります。人口減少、低成長の経済のなかで、日本がとるべき経済政策は、早くから地方分権を強力に推し進め、それによって内需拡大をしていくことであります。これからの新たな経済政策のためには内需拡大が是非とも必要であり、そのためには地方分権を今から強く推し進めていかなければならない。そのための地方分権でもあると、私は思っています。


Vol.223 医療改革について

今、安倍内閣によって、わが国の医療サービスが大きく改正されようとしています。今の病院中心の医療体制では、急増する高齢者を受け入れられないため、住み慣れた地域や在宅でそれを支えていこうというものです。

そのために、病院では病状の重い急性期向けの患者のベッドを大幅に減らし、回復期向けのベッドを増やすとか、予防給付のうち、訪問介護と通所介護を地域支援事業に移すとか、あるいは一定の所得のある人は、介護保険サービスの自己負担率を今の一割ではなく、応分割合を負担してもらう、としています。
つまり、患者が病院に行って、病院で医師に診察してもらう「病院完結型」ではなく、急性期の病院と、療養期の自宅での訪問医療を組み合わせた「地域完結型」に変えていこうというもの、とのことです。
この改正、高齢者社会に対するものとしては、一見よさそうに見えるかもしれません。しかし、これまでの様々な改革が辿ってきた道を振り返ると、素直に賛成することはできません。

第一に、患者の気持ちを考えなければなりません。高齢者や患者が病院から追い出されたと感じる可能性が高く、こうした患者への気持ちを払しょくする丁寧な対応が求められます。
また、地域完結型への移行に伴っての人材育成は不可欠ですが、その方向性は、まだまだ不透明です。そのうえ、移行期には現状の医療体制と双方に人材が必要となるので、人材不足になる危険性をはらむこととなります。
一番の懸念は、本来国民のための医療改革が、その手段が目的化して総花的となり、行政の焼け太りになることです。自民党政権下で何度となく繰り返された行政の肥大化を、今回は繰り返させてはなりません。
医療を含めた社会保障制度は国の政策の根幹の一つです。すべての国民が、安心安全なくらしができる社会を実現するためにも、丁寧な対応が求められます。


Vol.222 安倍首相の靖国神社参拝について

昨年末の2013年12月26日に、安倍首相が突然、靖国神社を参拝したことに対し、中国や韓国ではこれに強く反発し、米国は「失望」を表明いたしました。

ご存知の通り、靖国神社にはいわゆるA級戦犯が合祀されております。靖国神社によりますと、A級戦犯だけを分祀することはできないそうであります。そういった環境の中で、一国の首相がここに参拝することに私は賛成できません。

そもそも、安倍首相を支える人々、あるいは彼の靖国参拝に拍手を送るグループは、国際社会に向けて「なぜ安倍首相が靖国に参拝したのか」をキチンと訴えているのでしょうか。国際社会に正しく理解されていると思っているのでしょうか。

日本人には「人は死んだら誰でも仏になる」という考え方は理解できるでしょうが、国際社会のなかでは、この考え方は仏教感特有のものだということを認識しておく必要があると思います。

いずれにせよ、今回の状況は、普段の自分たちの主張を国際社会に理解してもらう絶好の機会と捉えるべきでしょう。そのうえで、自分たちの考え方を押し付けるのではなく、反対している国々の意見も尊重しながら、理解してもらえる努力を続けるべきだと考えます。


Vol.221 新年明けましておめでとうございます

 新年の到来と共に、私のホームページをリニューアル致しました。これを機に、この「浩一郎のひとり言」も、新たな気持ちで続けていく決意であります。

 私はもう一つ「大樹深根」というブログを運営しています。そこで「太樹深根」は主に日々の私の行動と、それによって感じたことを中心に述べ、「浩一郎のひとり言」は私の政治理念や政策を中心に述べたいと思っております。どうか宜しくお願い致します。

 さて、日本を取り巻く外的要因の一つに、中国の台頭が挙げられます。従って、この近年の歴史にはなかった状況に対する日本の在り方が、これから常々問われていくでしょう。

 また、内的要因としては戦後の高度経済成長・人口増加とは全く逆の、昨今の低経済成長・人口減少という、これまた今まで経験したことのない状況に日本はどう対応していくのか、大変重要な状況になっています。

 こうした新たな状況に対する日本について、「浩一郎のひとり言」を通じて私なりの意見を述べさせて頂こうと考えております。皆様方からのこれまで以上のご理解とご支援を心よりお願いし、新年のご挨拶に代えさせて頂きます。

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